40歳、まだ自分は戦える。オリンピアンとしての復活を目指す

佐々木明
SASAKI AKIRA

[PROFILE]
1981年9月26日、北海道北斗市出身。スキーヤー、実業家。日体大2年次にソルトレークシティーオリンピックに初出場、のちトリノ五輪・バンクーバー五輪・ソチ五輪と4大会連続日本代表。2014年ソチオリンピックの終了後、ビッグマウンテンスキーに転向。東日本大震災被災者支援団体のNPO法人『SKIERS HELP FOUNDATION』、全日本スキー連盟アルペン国内強化ヘッドコーチなどを務める。2022年3月、アルペンスキー競技に現役復帰を公表。2026年のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックを視野に入れ、2023年シーズンから国際スキー連盟(FIS)の公認レースに出場する。

2022年3月、アルペン復帰と次の冬季オリンピックへの挑戦を表明しました。19歳で世界選手権に初出場し、その後ワールドカップデビュー。以降4大会オリンピックに出場してきました。2014年のソチオリンピック終了後に競技から離れたのは、 “より大きなものへの挑戦”の覚悟を決めていたからです。

あれから8年間、大自然を滑るビッグマウンテンスキーに挑戦し、ノルウェーのフィヨルドを攻略し、モンゴル奥地の氷河を滑降し、谷川連峰のマチガ沢を攻めるなど世界を舞台に縦横無尽に滑ってきました。

この極限の地を世界最速で滑ることができるのは、俺だけだと感じる瞬間。挑戦すればするほど、俺はもっとスピードを出せる、もっと攻められる、もっとすごい山を行けるという確信が際限なく高まっていく。一歩間違えば、間違いなく危険が迫るという思考をシャットダウンして、過去も未来もなく、今この瞬間だけにフォーカスする。そんな8年間を無我夢中で過ごして、気づいたら40歳になっていました。

一方、世界では1年遅れで東京でのオリンピックが開催されて、間髪入れずに北京オリンピックが開催されました。感動しましたね。スポーツのもつ圧倒的なエネルギーを思い知らされました。自分も、もう一度ここでプレーしたいという思いが腹の底から湧いてきました。人に何かを与えられる側に行く努力をもう一度しよう、と。

そのとき、自らを縛っていた呪縛に気づきました。40歳だから競技では戦えない、ビッグマウンテンスキーとアルペンスキーは両立できない――そんな“思い込み”に縛られて、自分の可能性に線を引いていたんです。でも、実際に40歳になってみれば、自分が20歳のときに思っていた40歳とは全然違っていた。まだ自分は戦える、そう確信したんです。

トレーニングに集中できる環境をEVERINGがつくってくれる

オリンピックに挑戦するとなれば、生活は180度変わります。4年後のわずか2、3分間という一瞬のために、365日×4年の日数を逆算して、体をどうつくるか緻密に目標を設定して、それに従って1分1秒を無駄にしない生活がスタートします。

自分は8年間のブランクがある。0.1秒を競うレースと、大自然を滑るための身体のつくり方はまったく違うんです。身体をゼロから作り直し、どんな瞬間でも思うままに1ミリのズレもなく身体を自由自在に使えるように構築する必要があります。そのために、身体の五原則を徹底的に極めていくトレーニングを地道に行っています。

有酸素運動は週600分が目安ですが、現在は900分行っています。プラス300分は、マインドのためですね。やったという手応え、自信をつけるため。最終的にスポーツはマインドで勝つしかない。トレーニングでは、脈拍180から200まで自分の身体を追い込んでいくことも。どうすれば勝てるのか知りませんから、あらゆることに取り組む必要があります。

ロードワークで路上に出ることも多いのですが、EVERINGを使い始めてから、すごく身軽にフットワークがよくなりました。これは走る人全員わかっていただけると思いますが(笑)、途中で喉は渇くけど、ボトルは持ちたくない、スマホや小銭も走る邪魔になる。EVERINGのおかげで手ぶらで、走りたいだけ走れるようになった自由は大きいです。

トレーニングの最中も、ずっとつけっぱなしですね。水に強いし、充電も一切する必要がない――デジタルデバイスとして最強ですよね。自分は打ち込んでいること以外には、無頓着なんです。財布やスマホもすぐなくしちゃう。仲間が心配して、財布に入れる位置情報タグをプレゼントしてくれたぐらいです。

EVERINGは全国のコンビニで使えるし、最近は一部のコカ・コーラ社の自販機でも使える。EVERINGがあれば、国内どこでもどうにかなりますね。自分の場合、クレジットカードとEVERINGを併用しています。1万円以上はカード、それ以下はEVERINGと使い分けています。アプリはほとんど開いていませんね。残金が不足すれば、オートチャージ機能で追加してくれますから。とにかく手間がかからない、ストレスがないことが自分にとっては重要なんです。

北海道の田舎町で育ったので、東京に来たときは驚きました。人と人が目を合わさないというか、できるかぎり人との接触を避けているみたい。だいたい自炊生活なのでマンションの下にあるスーパーにたびたび買い物に行くんですが、EVERINGで決済したら「すごいね!」なんてレジのおばちゃんに驚かれて仲良くなりました。世間に対して楽しくオープンマインドで生きたいタイプなので、EVERINGで「おっ!」という反応が返ってくると、なんだか自分までうれしいですね。

生きているかぎり、スポーツを通じて自分を極めていきたい

ビッグマウンテンスキー転向以降は、アルペンスキーの日本代表コーチとして、選手のために世界で勝つためのシステムやカリキュラムづくりにも務めてきました。選手側から運営側になったことで、わかるようになってきたこともたくさんあります。

競技生活に戻るにあたっては、選手の立場から、日本のスキー界全体を押し上げていく貢献もしていきたいと思っています。とくに選手やコーチが力を発揮できる環境づくりですね。日本のスキー界では、才能がありながら経済的な理由から選手やコーチを続けるのが難しい人が多くいます。選手のプロモーションやスポンサードの環境を整えていけば、日本のスキーはもっと伸びると思っています。

この8年間、世界中の誰よりも遊んだと自負しています。リスクと隣り合わせで氷河帯を滑るといっても、そこには何の生産性もないんですから、いわば究極の遊びですよね。この自由なポジションを得るために、現役時代頑張ってきました。でも、50歳になった自分に思いをはせたとき、40歳の自分が今できる“最高峰”を目指すべきではないかと考えたんです。

自分は、挑戦することは一生続けるのだと思います。年齢とともに細胞が退化しようと、パフォーマンスが衰えようと、そのときの自分の最高峰に挑戦していきたい。今の自分は、オリンピックという世界の最高峰で戦える確信が芽生えたので、全身全霊で挑むのみです。

2026年の目指す姿は、44歳のオリンピアンにして、44歳の金メダリストです。そこに降り立つことができれば、きっと自分は人に何かを与える側の人間になれるはずです。そのとき、世界はどうなっているかわかりません。でも、きっとスポーツはもう一度、世界を一つにする力を僕らに与えてくると信じています。